瀟洒な茶葉を模した銀の匙で、琥珀色に輝く紅茶に落とした角砂糖を溶かし込むように掻き混ぜてみると、華やかなりし18世紀ロココ文化の香りが立ち昇ってきます。

ここでご紹介する銀の匙は、ロココ文化の一つの特徴である自然主義=ナチュラリズムの発露ともいうべき、葉っぱの形を模したつぼ(掬い取る部分)と、小枝に絡まる葉やそこに這っているテントウムシやイモムシまでも忠実に写した柄を持つナチュラリスティック・スプーン Naturalisitic Spoon と称される独特の様式のスプーンです。こうしたデザインは、フランスでの迫害を逃れてイギリスへ移住してきたユグノー(カルバン派の新教徒)の銀細工士によって生み出されましたが、用途はほぼティースプーンに限られ、当時のイギリス社会の近代化を担ったユグノー達をはじめとする富裕な顧客層からの注文に応じて12本または6本のスプーンに角砂糖挟み Tea Tongなどを加えたセットとしてつくられ、シャグリーン・ケースに収められ茶道具セット Tea Equipage として納品されました。同じモチーフを扱いながら、様々なバリュエーションを持つ点に特徴があります。

お茶の香りを楽しみながら、しばし、瀟洒なスプーンの囁きに耳を傾けてみてください。自然を写し取り生活に彩りを添えようとする工芸デザインの潮流を18世紀ロココ様式から20世紀初頭のアールヌーボーまで辿りながら、このスプーンを生み出したユグノー達の苦難と光芒、上流階級に広がった華やかなお茶の文化、底流に流れる日本文化への強い憧れ、素材であるが果たしてきた人類史的役割など、生活の中で精神と物が紡ぎ出して来たささやかながら広大な物語は、心を時空の彼方へ解き放ち、豊かなひと時をもたらしてくれることでしょう。

スプーン小史TeaSpoon_1680_2.JPG


Spoon_1522_WilliamSimpson01.JPGApostle type spoon, made by William Shimpson, 1522, Londonイギリスにおけるスプーンは、ローマ帝国の頃から17世紀後半まで、洋梨あるいはホタテ貝のような下膨れの形をしたつぼと直線的な柄という形をプロトタイプとし、柄尻の装飾で幾つかのタイプに分類できるというものでした。

人々は、どこかへ出かけるときは、食事のために自分のスプーンを持ち歩くのが習慣だったそうです。そんな訳で、スプーンは人々にとって肌身離さず傍におく特別に愛着のあるものであり、キリスト教の影響が強まった中世には、自分の守護聖人を象った柄尻を持つ聖人スプーンApostle Spoonもつくられました。

シェークスピアの生きた頃、ヘンリー八世やエリザベス女王の催す晩餐の席では、貴人達は懐からマイ・スプーンを取り出して舌鼓を打ったことでしょう。フランドルの画家ピーター・ブリューゲルが描いた街の祭りの絵にも、同じ形をした匙を耳朶に挟みながら踊っている農夫が描かれており、こうした習俗は広く大陸欧州にも広がっていたことがわかります。

高貴な生まれを例えるときに、「口に銀の匙を咥えて生まれてきた」という表現がなされるは、こうした背景があってのことだと思われます。


銀のスプーン

紀元前2世紀頃、ローマ人が銀の食器の収集を始め、スプーンを含む什器類が、ギリシャ本土や各地の植民地でつくられる様になりました。古代ギリシャ様式は、ローマ様式に溶け込み、さまざまな用途の銀製品を生み出してゆきます。

ルネッサンス期、イタリア宮廷での洗練された食事作法のために、ナイフとフォーク、カップ、水差しなどの新しい什器が銀によってつくられるようになり、この食事作法が、フィレンツェから嫁いでいっ たカテリーナ・デ・メディチによって、フランス宮廷に伝えられ、今に続くフランス料理の基礎がつくられます。

Spoon_2.JPG上からTrefid type、Dognose type、Hanoverian typeSpoon_1.JPG英国におけるスプーンの形や使われ方に大きな変化が生じたのは、1660年頃、清教徒革命の混乱を避けて亡命していたチャールズ二世によって、フランスの宮廷料理とそのテーブル・セッティングなどの食事のマナーが英国にもたらされたことがきっかけでした。


Trefid Type

最初に造られたのは、柄尻が三椏に分かれたトレフィッド形式Trefid typeのスプーンでしたが、幾つかのバリュエーションがあり、中には繊細なレース模様をあしらったレースバック・トレフィッドと呼ばれるものもありました。

その頃、フランスのルイ14世は、絶対王政を完成させるためにカソリック教会への宗教的統一を推進し、新教徒ユグノーへの迫害を強め、1685年には、凄惨な宗教戦争(1562-1598)に終止符を打った「ナントの勅令」を廃止してユグノーの教会活動を禁止してしまいます。ユグノー達は、故郷を捨て、当時、新教の国でユグノーに保護を与えたブランデンブルク選帝侯国をはじめ、オランダやイギリスへと数万人単位で脱出し、勤勉で知識と技術と富を有していた彼らは、銀製品のデザインや品質を一気に引き上げた他、軍事から金融に至る広い領域で活躍し、各々の国で近代への扉を開ける役割を果たしたのです。一方、フランス王室は、ユグノーという経済力の担い手を失い、ヴェルサイユ宮殿を舞台に遊戯的ロマンスに耽って浪費を続けた結果、イギリスなどとの覇権争いに敗れ、財政破綻の末にフランス革命を招き寄せ、新教徒アンリ4世が開いたブルボン王朝はカソリック教徒として断頭台の露と消えたのでありました。わたしは、知識と技術を持つ勤勉な人々が、安逸な慣習の軛(くびき)を断ち切り、自ら生き抜く覚悟で現実に対峙するとき、歴史の歯車を大きく動かすという一つの象徴的な物語を、ユグノー達が辿った運命の中に見い出します。トレフィッド形式のスプーンは、ユグノーの銀細工士によってもたらされた新しい時代の息吹を体現しているのです。


Dognose Type


1702年にアン女王が即位する頃には犬の鼻先のようなドッグ・ノーズ形式Dog-nose typeへとデザインが変わりました。トレフィッド形式では平らだった柄が立体的な丸みを帯び、ツボは滑らかな卵形の流線型となり、シンプルでありながら高級な重厚さを感じさせるものへ発展しています。ちなみに同時期にセットでつくられたフォークは、細めの三叉で、これも独特の重厚さを感じさせるデザインとなっています。



Hanoverian Type


1714年にドイツのハノーバー選帝侯がジョージ一世として即位する頃には、丸い柄尻を持ち、柄が更に立体感を強める働きをする優美な稜線をもったハノーバー王朝形式Hanoverian typeのスプーンが作られました。無駄のない柔らかで優美な曲面で包まれた重量感のある白銀のオブジェともいうべきハノーバー王朝形式のスプーンは、中国の宋の時代の青磁につながる高貴さを漂わせています。

バロック時代には、オランダと並んでイタリアの銀器がヨーロッパに輸出されて使われていましたが、 18世紀中頃、ロココ様式の最盛期になると、絶対王政の下での国民意識の高まりを反映し、ブルジョア階級が自国でつくった銀製品にこだわりを持つようになり、ロココ様式に各国毎のバリエーションをもたらすことになります。銀食器は、社会的地位のシンボルとなり、旺盛な需要に応えるために銀器の加工技術は飛躍的に進歩し、品質・デザインともにハイレベルなものとなってゆきました。



Old English Type


現在、私達が日常的に使っているスプーンの形は、1770年頃、美術様式として新古典主義が台頭し始めた頃に作られ始めたオールド・イングリッシュ・タイプ Old English Typeと呼ばれるものです。それ以前のスプーンとの最大の違いは、スプーンの柄が曲がる向きが反対になっている点です。1770年頃まで、スプーンをテーブルに並べるときは、つぼの凸側を表にし、ラットテール(ねずみの尻尾)と呼ばれる装飾や銀の品質を保証する検証極印 hallmark が見えるように置いていましたが、それ以降は凸側を下に向けて置くようになったのです。それにともなって、ラットテールの装飾はなくなり、スプーンを所有している家の紋章もつける向きが変わりました。こうしたスタイルの変化には、様式の変化だけでなく、産業革命によってあらわれた蒸気機関で動くプレス機などで大量生産し易い形へ変化したという側面もありそうです。19世紀に入ると、産業革命によって蒸気機関で動くプレス機などが開発され、銀製品は、家内製手工業の時代から、大規模な工業化の時代へ突入し、生産性の向上による価格低下とともに、銀製品のテイストは一気に大衆化へ向かうことになります。ハノーバー王朝形式の、柄の優美な立体感は工業的な平板的曲線にとって変わられ、職人の手だけが生み出せる温もりも失われてしまっています。



Others


大英帝国の威光が燦然と輝く19世紀に入ると、キングス・タイプやクィーン・タイプといった重厚な装飾が前面に施されたスプーンをはじめ、様々なデザインのスプーンが登場し、テーブルの上は随分とにぎやかになりました。今も格式の高い高級レストランなどでは、こうしたタイプが好まれているようです。大英帝国の威厳を体現したような重厚で装飾性に富むデザインは格式を感じさせますが、ハノーバー王朝形式が持っていた高貴さを感じさせるものではありません。

20世紀になると、銀職人 の間で、デリケートな草花装飾のアールヌーボー様式や、幾何学模様のアールデコが流行し、プレス技術や鋳造技術の工業化が一層進み、デザインそのものに特許が与えられるようになった。



Rococo Naturalistic Spoon


こうしたスプーンの歴史の中にロココ・ナチュラリスティック・スプーンを位置づけてみると、時代的には1740年前後から1760年台まで二十数年間という僅かな期間に限定されてつくられ、同じ時代に一般的だったシンプルで高貴なハノーバー王朝様式スプーンとは対極にある装飾性に富むデザインとなっており、極めてユニークな存在であることがわかります。ナチュラリスティック・スプーンの用途は、ティースプーンにほぼ限定されている点も特徴であり、一般のスプーン形式の変遷と同一視できない部分もあります。6本または12本のスプーンと、角砂糖ばさみ、茶入れから茶葉を救い出すムート・スプーン、などとセットにして瀟洒な小箱に入れられたり、あるいはティー・キャディーや砂糖入れとともに重厚な箱に入れられて、女性の結婚祝いとして贈られることが多かったことに示されている通り、貴婦人が屋敷に集まるサロンでのお茶を囲んだ華やかな社交を彩るためという目的に特化して造られたものだからです。その点でも、正に、貴婦人達が政治・社会・文化において主役を担ったロココという時代の象徴とも言える存在なのです。





ロココ・ナチュラリズムの系譜1734_French_Henri-GuillaumeAdnet_2.jpg


マイセンが挑んだ陶磁器の動物園


Meissen_Herons_1731..jpgA pair of Meissen porcelain herons made in 1732 for the Japanese Palace in Dresden, Germany; at Christie’s Paris in June 2005, they fetched $6.8 million.自然のあるがままの姿を写しとろうとするロココ的自然主義の典型的発露は、当時、もっとも富裕なパトロンであったザクセン選定候かつポーランド王でもあったアウグスト強王 Augustus the Strong (1694-1733)によって1730年に計画された日本宮プロジェクト Japanese Palace projectに見られます。彼は、錬金術師ベトガー J. F. Böttgerに命じて、1710年に欧州で初めて陶磁器を生産し始めたマイセン磁器工場を設立した当人ですが、その陶磁器熱は凄まじく、日本と中国の陶磁器コレクションは2万点を超えていました。彼が、生きた時代は、科学者アイザック・ニュートン (1642-1727)と重なっており、科学あるいは博物学が新時代の知識として脚光を浴びていました。他に先駆けて陶磁器生産の秘密を見抜いてマイセン磁器工場を設立した彼は、今度は、「白い金」と呼ばれた陶磁器によって博物学的な野望を満たすべく、様々な動物の姿を忠実に再現した陶磁器で、ドレスデンにある日本宮の床を埋め尽くす陶磁器動物園の設立を思いつきます。1734年の企画リストによると、597点の動物や鳥の制作が予定されていましたが、その生産は苦心の連続で、結局1736年までに458体をつくりましたが、工房のリソースを全て投入したために他の製品の生産が滞り、1739年までにプロジェクトは断念されました。動物の制作は、マイセン磁器工場史上最も著名な造型家 modeler であるヨハン・ヨアヒム・ケンドラー Johan Joachim Kaendlerがあたりました。



シャンティリーにおける競争意識


1734_French_Henri-GuillaumeAdnet_2.jpgA Silver Tureen, Stand and Cover designed by Juste-Aurèle Meissonnier, executed by Pierre-François Bonnestrenne and Henry Adnet, Paris, 1735-1740. (36.9 by 45.6 by 38 cm.) Cleveland Museum of Art自然のあるがままの姿を写しとった上で、これを日常の道具に適用すると同時に全体として調和のとれた新しいデザインを考案したのは、金細工師であると同時に彫刻家、画家、建築家、家具デザイナー、そしてフランス初のシャンティリー国営磁器工場のデザイナーでもあったジュスト・オーリー・メソニールJuste-Aurèle Meissonnier (1695-1750)でした。彼は、同時代の人から「イタリアで蔑まれパリで開花した型破りの天才で、且つそれ以上のもの」と評され、正に異端児であり、万能タイプの天才であったようです。

彼の最も有名な銀工作品に、1735年頃、キングストン公爵 Duke of Kingston のために造られた一対のチュリーン(スープをサーブするための深皿)があります。その作品には、はっきりと、自然のあるがままの姿を写しとって工芸デザインに活かそうとする彼の意図が顕れています。

この意匠を生み出した直接の動機は、1730年から、シャンティリー国営磁器工場がライバル視していたマイセン磁器工場で進められていた日本宮プロジェクトにおける「精緻な自然の模倣」に対する対抗心にあったことは、ほぼ間違いないように思われます。また、同時代に遥か東洋からもたらされ、フランス王族・貴族によって収集され、ダイヤモンドよりも高価とされた江戸初期以来の蒔絵の小箱や伊万里焼に顕れた日本の工芸デザインも、自然の意匠を食器などに適用するもう一つの動機となっていたと考えられます。実際の製作にあたって、彼は、生きた海老などから鋳造用の型をとっており、如何に「精巧な自然の模倣」に執着していたかが伺われます。



イギリスへの伝来とチェルシーでの実践


NicholasSprinmont.bmpTwo pairs of marine salts by Nicholas Sprimont, 1742, the Royal Collection.ロココ的自然主義に基づき、生きた対象から型をとるという創作方法は、同時代にイギリスへロココ様式をもたらしたフランス人ニコラス・スプリモント Nicholas Sprimont (1716-1771)によって模倣されました。彼は、Liègeois生まれのユグノー(フランスのカルバン派新教徒)で、1742年にロンドンへ移り住み、ロココ様式を銀工芸分野で実践し普及させると同時に、陶磁器ブームにのってチェルシー磁器工房を創設し、銀工芸で実践した全く新しい意匠を陶磁器の世界へも持ち込み、同時代のWedgewoodなど陶芸家へも大きな影響を与えました。彼の最も有名な作品は、現在、英国王室コレクションに収蔵されているプリンス・オブ・ウェールズ Frederick のために造られたザリガニを象った一対の銀の塩入れですが、そのデザインはチェルシー磁器工房において模倣され、いくつかのタイプの陶磁器が造られました。このザリガニの塩入れに合わせて作られたホタテ貝のつぼと珊瑚の柄をもったソルト・スプーンは、ここで取り上げるナチュラリスティック・スプーンをつくった銀細工師に、直接のひらめきを与えたのではないかと考えられます。



サロン文化としてのお茶と道具類


Oct15#06.jpgTea Equipage by Paul de Lamerie, 1735. It has a set of 12 cast whiplash pattern teaspoons, a mote spoon, an unusual pair of tea tongs, a set of twelve tea knives, two tea caddies, a sugar caddy and a milk jug; all these are housed in an elegant, silver mounted, fitted shagreen box.オランダ生まれのユグノーであるポール・ド・ラメリー Paul de Lamerie (1688-1751)は、イギリスにおいてロココ様式を確立した偉大な銀細工士として賞賛されています。1735年、結婚祝いとして注文を受けて彼が製作したお茶のための道具類を収めた箱Tea Equipageは、この種の茶道具セットとして知られているものの中で最も古いもので、お茶を飲む習慣が富裕な上流階級の間に確立され、社交文化として洗練度を加えてゆく消息を今に伝えています。そこに収められた12本の銀のティースプーンは、whiplash(むちうちひも)様式でつくられているのですが、その様式の作品例は他に一セットが知られているだけです。そして、この様式は、ロココ・グランド様式の直接の起源と位置づることができます。

ロココ・グランド様式のスプーンは、一般的には"Rococo foliate"などと形容されていますが、英国においては特別の様式としては認知されていない様子で、ここにご紹介するにあたり、わたしがつけた様式名です。この様式は、ロココ様式の特徴である「非対称な花飾りのついたS字曲線の柄尻の装飾」、「貝を様式化したつぼ」、「ロカイユ装飾」などを体現するだけでなく、ツボと柄の接合部にホタテ貝から派生した「イオニア様式風柱頭デザイン」をもち、瀟洒であると同時に端正で堂々とした優れたデザインに仕上がっています。



リアリズムとファンタジー


SaltAndSpoon_PaulDeLamerie_1739_2.JPGSet of Four Salts and Spoons by Paul de Lamerie, London, 1739.ポール・ド・ラメリーは、1739年に、あわびの貝殻をマーメイドが抱えているというロココ的自然主義とファンタジーを融合したデザインをもつ銀の四対の塩入れを製作していますが、それに合わせて造られたスプーンは、貝を模したツボと珊瑚の柄をもっており、ニコラス・スプリモントの作品とともに、ナチュラリスティック・スプーンの直接の起源になったと考えられます。

ところで、ポール・ド・ラメリーは、英国史上最も偉大な銀細工士とされていますが、実際に自分で制作した作品は初期の僅かな作品しかないとされており、ほとんどは他の銀細工士の作品に自分の製造印を押したものです。そして、銀製品への課税を逃れるために、法律で定められている品位検証所Assay Office での極印hallmarkを押さないまま、ロシア王室をはじめとする富裕な貴族達に銀製品を供給して莫大な富を得た、やり手のビジネス・マンという方が実態に近いようです。



ロココ様式の粋を作った謎の銀細工士


Dish_1742_PaulDeLamerie.jpgThe Maynard dish by Paul de Lamerie, London, 1736彼の作品の中でも、ロココ様式の粋とされるメイナード卿のために造られた大皿はMaynard Dishと呼ばれています。同じ造型技術を使って造られた作品が、1736年から1745年にかけて幾つか制作されており、その卓越した造型技術と美的センスは、銀製品の歴史上で最も高く評価され、その製作者は「メイナード・マスター」と呼ばれるようになりました。1739年のあわび貝とマーメイドの塩入れもメイナード・マスターによる作品とみなされています。

このメイナード・マスターが、いったいどの様な人物であったのかは実は全くわかっておらず、美術史上のミステリーの一つとなっています。その特徴のある作風から、候補として何人かの名前をあげられていますが、その有力候補の一人として、マイセン工房史上最も著名な造型家ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーの兄弟で、ドレスデンからイギリスにわたり、後に3代にわたって銀細工士として活躍したチャールズ・フレデリック・ケンドラーの名前があがっています。

もし本当に、チャールズ・フレデリック・ケンドラーメイナード・マスターだったとしたら、イギリスにおけるロココ自然主義は、ドレスデンのマイセン工房に発し、ドレスデン出身の造型家によってイギリスで確立され、またナチュラリスティック・スプーンのプロトタイプも彼によって生み出されたことになり、美術史上の大きなエニグマと、このサイトのロココ的自然主義の起源に関する疑問は、ともに大団円にて解決することになるのです!



草花のスーパー・リアリスティック・ナチュラリズム


Mirror_1741_CharlesFrederickKandler_3.jpgMirror with the Russian Imperial Arms and Crown by Charles Frederick Kandler, 1741/42. Hermitage Museumチャールズ・フレデリック・ケンドラーは、1740年代半ばに、ロシア皇帝ピュートル3世(当時はホルシュタイン=ゴットルプ公)へ、エカチェリーナ二世(当時は神聖ローマ帝国領邦君主の娘)との婚約記念として贈られたとされるロシア皇帝紋章入りの鏡を作っています。その鏡の縁に施された装飾は、銀細工によって、薔薇の花や葉を忠実に再現した上に、蝶、イモムシ、蝸牛、蛙などが、あたかも生きているようにあしらわれ、更により本物らしく見せるために銀に部分的に彩色するという念の入れようでした。スーパー・リアリスティック・ナチュラリズムとでも呼ぶべき忠実に自然を模倣しようとする美的感性には、ロココ・ナチュラリスティック・スプーンを生み出したものと同じ「時代精神」が流れているといえるでしょう。






ナチュラリスティック・スプーンの誕生


TeaSpoon_1750_FrancisHarache_Gilbert2.JPGGold Tea-spoons and Tea-Tongs by Francis Harrache, circa 1740. Victoria & Albert Museum18世紀半ば、ナチュラリスティック・スプーンを集中的に製作していた銀細工士は、ロンドンへ移住してきたユグノーが暮らすソーホー地域に工房を構えていたフランシス・ハラシェ Francis Harrache (1710-1757)ジョン・デルッサ(1世) John (I) Derussat (1700?-1758?)でした。おそらく、彼らが、葉っぱの形を模したつぼ(掬い取る部分)と、小枝に絡まる葉を持つナチュラリスティック・スプーンを考案し、製作したのではないかと思われます。自然を忠実に模倣しようとするロココ・ナチュラリズムの時代精神が、サロンで花開いたお茶の文化を、より洗練されたものへ昇華させる道具として、ロココ・ナチュラリスティック・スプーンを生み出したのです。

Francis Harracheの作品で最も有名なものは、1740年前後につくられた純金の6本のグランド・ロココ様式のティー・スプーンと一つの砂糖挟みTea Tongsからなるセットで、これはギルバート・コレクションに納められ、現在、ヴィクトリア&アルバート博物館に貸与されています。純金でできたティー・スプーンは、他に2セットが知られているだけで、きわめて貴重なものであると同時に、彼が対象としていた富裕な顧客層の嗜好を浮かび上がらせています。彼の作品は、端正で、遊びが少なく、グランド・ロココ様式をそのまま発展させた雰囲気が漂っています。材質としては、日常的に金を扱っていたことや、相当の富裕層を客層にしていたことを反映してか、スターリング・シルバーに金メッキを施したSilver-giltが多いのも特徴です。同時期に一般的に作られていたハノーバー様式のスプーンでは、Silver-giltはほとんど見かけません(ただ、金でつくられた3組のティースプーンのうちの一つはハノーバー様式です)。

John (I) Derussatは、2002年の英国のSilver Society Journalに収載されたBrian Beet氏の論文においてその消息が明らかになるまでは、特定できない謎の銀細工師であり、現在も、彼の刻印は知っているが、だれかは知らないという収集家も多いようです。その作品の幅は広く、テントウムシやイモムシが葉を這っている意匠は、彼の考案ではないかと考えられます。その事業は孫のJohn (III) Derussat (1728-1807)に引き継がれますが、彼は、1759年に、Francis Harracheの死後にその妻によって運営されていたSt. Andrew Streetの工房を譲り受けて移り住んでおり、両家の間には、公私にわたる密接なつながりがあったことが伺えます。



様式の変遷と生き続けるデザイン


TeaSpoon_1830_JW1.JPGRococo Revival Period Naturalistic Teaspoon by Joseph Willmore, Birmingham, 1830. from my gallery.1770年前後、ロココ様式は時代遅れとみなされはじめ、新古典主義が美術・工芸の世界を席捲し始めます。1738年から始まったヘルクラネウムポンペイの古代ローマ遺跡発掘は、両シチリア王カルロスの後援による詳細な出版物を通じて紹介され、美術評論家ヴィンケルマンが「古代美術史」(1764年)などを執筆してギリシア賛美の評論が浸透してゆきました。フランス革命を準備しつつあった合理性を求める時代の精神は、ロココ様式を過剰に甘美な装飾様式でモチーフも貴族主義的で退廃的だと切り捨てる一方、均整や写実性を重視するギリシア・ローマの古典様式の中に自らを表現する形式を見出し、新古典主義がフランス・アカデミーの主流となってゆきました。更に、1800年代に入ると、ナポレオンのエジプト遠征を契機に、古代エジプト美術の影響が加わった帝政様式 Style Empireが第二新古典主義として流行することになります。

しかし、ナチュラリスティック・スプーンの意匠は、こうした流行廃りの波を超えて生き残り、再発見され、新しい様式美の中に生き続けています。ここでは、その系譜を、1830年前後から1860年代に続くロココ復興期、1860年代から80年代にブームとなったジャポニズム、1900年前後に一世を風靡したアール・ヌーボーの時代に分け、その展開の様子を辿っています。ロココからアールヌーボーへ至る美術工芸の歴史から浮かび上がってくるのは、人間の感性が、官能的曲線と、合理的直線の間で揺れ動く様子です。そして、こうした様式の変遷を超えて生き残るのは、あるがままの自然に立脚した意匠であり、それが人間の創造力の源泉であり続けるということなのかも知れません。




このサイトについてIMG_3653.JPG



Incense Container_17c_Versailles.jpgPeach-shaped Incense Container. Edo period, late of 17th-middle of 18th century Musée national des châteaux de Versailles et de Trianon, France. © Photo-RMN / © Thierry Ollivierロココ的自然主義を体現するナチュラリスティック・スプーンは、作品数が希少な上、デザインが多様であるため、確立した様式として認知されず、包括的な収集や研究もみかけないのが現状です。社会文化の観点からも非常にユニークな位置を占めるナチュラリスティック・スプーンの全貌を紹介するために、このサイトは2010年初頭に英語で作成しました(日本語サイトは作成途上です)。極めて特殊なテーマを扱っているにもかかわらず、今では世界120カ国以上から毎月2000名ほどの人々にご覧いただいております。これは、ひとつには、外国において高く評価されている日本の蒔絵伊万里焼薩摩焼、更に欧州のものながら中々全体像を伝えるサイトが見当たらないアールヌーボー期のガラス工芸家エミール・ガレドーム兄弟などに関する記載を詳細におこなったためもあるようです。他


足元では、銀の価格が投機資金の流入によって32年ぶりの高値を更新したあと、急落に転じ、世間の注目を集めています。人間の欲望を惹きつけ、歴史の歯車を回す大きな力を発揮してきた銀は、古来、国際的に流通する貨幣として用いられ、一般的交換手段、ものの価値を計る価値尺度、価値の保存という社会的機能を担ってきました。現代の世界基軸通貨USドルは、アメリカ独立後の1792年に銀本位貨幣として誕生し、19世紀半ばのゴールドラッシュを経て金本位制へ移行し、第二次世界大戦後から1971年のニクソン・ショックまで唯一の金兌換通貨として世界経済を支えてきましたが、その変遷の歴史が示すとおり、永遠に続く存在では有り得ません。貴金属の裏づけを失って国家の強制通用力だけを頼りに流通するようになった貨幣は、人類を、恒常的インフレーションという歴史上体験したことのない世界へ投げ込み、国家としての恒常的な通貨発行差益を担保するだけでなく、インフレーションを利益に変換する舞台装置である資産市場を通じて社会的富の転送機能を担ってきました。2008年の世界金融危機の後、アメリカは財政赤字・貿易赤字増大をドル増刷による通貨発行差益でかろうじて凌いでいる状態で、欧州統一通貨ユーロはアイルランドやギリシアの財政破綻で存立基盤が揺ぎ、一方で中国の外貨準備は3兆ドルを超えて急増を続けており、国際準備通貨として価値保存機能を担う世界通貨は、極度に不安定化しています。国家、経済、通貨の関係が大きく変わろうとしていている今、日常の生活感覚そのものである「お金」という存在を、銀や金が担ってきた歴史的役割から、考え直してみることも有意義でしょう。過去の歴史を振り返ってわかることは、国家が弱体化して「通貨価値」が不安定化するとき、人類は「価値」の保存場所を、金や銀などの貴金属に求める行動特性を持っているということです。但し、こうした人類の性癖は、群れにおいて社会生活を営む哺乳類が本能的に持つ「共同幻想機能」に起因しており、貨幣が担っている「価値」とは、現在の消費を繰り延べた結果として約束されたと思い込んでいる将来の財サービスに対する請求権という「群れの約束事」でしかないということも忘れてはならないでしょう。


ロココの香りを楽しみながら、何気ない日々生活に流れ続けている歴史の流れを感じとっていただければ幸いです。





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